モノは大事

「モノより思い出」と言って、子どもをたくさん旅行に連れて行って思い出を作ってあげましょう、そうこの車があればできますよ…というCMがかつてありました。

 
私は天邪鬼なので、こういうこと言われると「モノ<思い出」みたいな決めつけヤメロって思うのですよね。結局、自分で否定したモノである車売りつけるのかよ!とも。公共交通機関の利用促進キャンペーンならともかく、こういう自己欺瞞みたいなのは、言葉に酔ってるとしか思えなくて。
 
思い出って何か媒介するものがないと、単独では出てこないし、ただ薄れていくだけだと思います。それは景色だったり、音だったり、匂いだったり、あるいはモノであったり。だから、モノを否定するような物言いには物言いをつけたくなるわけです。
 
攻殻機動隊のような電脳化が進んだ世界だと、じゃあどうなるんだろうと思います。原作では思い出に関してはミーム(模倣子)として、他者の記憶を媒介として自分は残るという話がかろうじてありましたが、自分が思い返す思い出という文脈ではなかったかも。
 
TVアニメ版のSACでは、素子が成長とともに擬体を乗り換えることがなくなった記念(つまり成人した)に誰かにもらった腕時計をしているという描写がありました。アニメ版での解釈ですが、電脳化が進んでもまだモノは思い出の媒介物になりうるということでしょうか。(もっともこの時計に執着するのはバトー君なのですが)
 
11月は私の誕生日があるので、こういう話を書いてみました。写真は妻からもらったプレゼント。
このプレゼントを見るたびに、ああこれをもらう前にケンカしてしまったなー、でも仲直りできてよかったなあとか思い出すのだろうと思います。
 
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