CSI:マイアミ・ラスベガス・NY合同捜査を見て(2)

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前回、CSI:マイアミはなぜ面白くないのにシーズン10まで続いたのか?という疑問を持ちましたが、標題になっている3作品の合同捜査を見ている時に妻が答えをくれました。

まず、この合同捜査というのは、1つの作品ではなくて、3つの作品からできています。マイアミで起こった行方不明・殺人事件が、ラスベガスの事件とつながり、そこからNYへ、最後にラスベガスで決着するという一連のストーリーで、マイアミ、NY、ラスベガスのそれぞれの回を見ると全部わかるというつくり。45分×3本なので、135分と長編映画と同じボリュームがあります。それぞれの回を橋渡しするのが、ラスベガスの2代目チーフであるラングストン教授で、演じるのはマトリックスのモーフィアス役が印象深いローレンス・フィッシュバーン

まず、ラングストン教授がマイアミへ出向き、ホレイショーらと合同捜査するのですが、もうあれです、フィッシュバーンが画面に登場しただけで、マイアミのCSIは制圧されたかのようになってしまって、ホレイショー役の人以外は完全に霞んでしまうのがわかりました。妻が言っていた「マイアミの役者はみんな下手」という意味が、一層よくわかりました。

ところで、マイアミ、NY、ラスベガスってうまいこと場所を選んだなーと思うときがあります。マイアミは起こる事件だとか、被害者、その行動・舞台などをみてもひたすら享楽的です。ものすごく軽い。殺人の内容も動機も。NYは大都会ならではの人間性や舞台にあった事件や設定が多いです。9/11以降の話なので、どこか影のある雰囲気もあり、深みがあります。ラスベガスなどは日本から見た印象だとギャンブルの街で、マイアミと違いがないように見えますが明確に違います。実際カジノや娼婦、麻薬なども登場するのですが、階層差が色濃いです。マイアミは本当に金持ちの住人か、遊び人が多いし、街の雰囲気もそう。でも、ラスベガスはお金持ちは一握りで、あとはみんな貧困層に近い。貧困や階層差別、人種差別に根ざした事件も多い。そして街の周りが砂漠という特殊な地域性があり、それを特徴とした事件・ドラマが描かれています。

この地域性の違いのなかで、マイアミの享楽的すぎる異常性は、以前あったラスベガスとマイアミの合同捜査において、ラスベガスのメンバーからも劇中で指摘があるくらい。

ここで妻が指摘したのは次の点でした。「マイアミの軽さ、ストーリーの単純さ、頭を使わずに片手間で見れるお気軽さを求める視聴者もじつ多いのではないか?」と。これはもう付け加えることがないくらい核心をついているし、とても腑に落ちました。

言ってみると、NYなんかはずーっと見続けるとヘビーなんですね、都市の暗部がどんどんえぐり出されてくる。ラスベガスなどはメンバーの人柄などでカバーされているものの、貧困という目をそらしたくなるところがどうしても見えてくる。その点、まずマイアミという舞台設定にはそれらを感じさせるものはない。景色はひたすらきれいだし、事件なんて起こりそうもない。なので、安心感がある。でも、殺人は起こるけれど、それはマイアミだったら起こりそう(でも、見ている人の街では起こらないだろうと思わせる)という事件。NY、ラスベガスが追体験や感情移入できるドラマだとすると、マイアミは「他人事(ひとごと)のドラマ」なんですね。適度に娯楽として刺激的でさえあればいいという感じの。だからこそ、息抜きとしての刑事ドラマとしてのマイアミが際立つのかなーと。それが長く続いた理由かなと。日本の刑事ドラマみたいなものなんです、本当に。CSIとは言ってますが、科学捜査は小道具で、ほとんどが直感推理が先行している点とか。

3作品のプロデューサーは映画界で有名なジェフリー・ブラッカイマー。派手な演出とアクション、有名俳優を起用して莫大な予算で、面白くて稼げる映画をつくれる人ですね。ラスベガスやNYを見ていると、本当にジェフリー・ブラッカイマーが製作なの?と思うくらい真面目で派手さはないんですが、マイアミを見たあとにクレジットに彼の名前が出てくるととても納得する。マイアミは彼が映画界の方程式とそのまま作っているような感じがあります(ただ、ホレイショー以外にちゃんと演技の出来る役者を使わないのはちょっと解せない感じもするけれど、それも計算のうち?)。

というわけで、3作品の詳しい内容は全然書いていませんが、3つの作品の対比がとてもわかりやすくできるので、最初のCSIを見てみたい方にはお薦めです。どのCSIが自分には好みなのかがわかると思います。