関西合唱コンクール混声合唱の部を聞いて

10/8にいたみホールで開催された関西合唱コンクールを聞きに行ってきました。すでにtwitterで感想やら思ったことをかなり忌憚なく書いてしまったのですが、淀川混声合唱団の演奏についてはブログに書いて残しておきたいなと思ったので重複する部分はありますが、記しておきます。

長年関わった合唱団だから身びいきがないとは言い切れないとは思うのですが、いやそれも直接関わったのは10年以上も前のことだから、今歌っていらっしゃる団員の方にとっては完全に部外者だと思うし、そういう意味で贔屓目なしだと思ってもらっても良いと思いつつ書きますが、ひかえめにいう必要もなく、このコンクールでの"よどこん"こと、淀川混声合唱団の演奏は他の出場団体とは次元の違うところにいたと思います。頭ひとつ抜けているとかそういうことではなくて、評価基準が異なる別の宇宙の演奏だといってもいい。

過剰な褒めようだと思うかもしれませんが、これは賞賛しているというより実際、ものすごく客観的な目で見た感想です。目指している音楽、そして表出している音楽がそもそもはじめから違うように思えました。ただ荘厳で美しい音楽を高い技術で奏でるためによどこんはステージに立っていたのであって、合唱のための合唱をしていたわけではないと思うのです。美しい音楽を演奏するために合唱をしていたのだと、わたしは感じました。

だから、同じ価値基準で他の団体と同列に評価することは本来不可能であるというのが正直なところです。でも、それは合唱連盟が主催する関西合唱コンクール、ひいては全日本合唱コンクールの意義というものが揺らいでいることを示しているような気がするのです。なんのためのコンクールか、どういう目的のコンクールか、何を評価するためのコンクールかということをもっと公に問い直さないと、今年のよどこんのような演奏が行われたとき、意味のないものになってしまいます。競う相手がいないということですから。

よどこんの演奏はここで終わりではなく、当然合唱団として演奏会や、また次の、あるいは別のコンクールを通じて続いていきます。そのとき、彼ら彼女らと競う相手がいないと、それは孤高の存在で終わってしまい、日本の合唱や日本のクラシック音楽の発展に一時的には貢献するものの、次の世代に続かない可能性がありえると思うのです。若干、大げさに書いていますけれど。どこかひとつだけの合唱団がうまいだけでは、良い音楽は続かないし、広がらない。そういう合唱団がたくさんある、裾野の広い状態が作られる、それがわたしの考える合唱や音楽のありかたの理想です。そのための切磋琢磨する、技術力を高めていく、そういうコンクールのありようが必要なんじゃないかなーと、今回のよどこんの演奏を通じて、思ったのでした。

と書いてはいますが、すでによどこんと同じ地平に立って、はるか上に目が向いている関西の合唱団は少なくともあと2つはありました。G.U.Choirと貝掛混声合唱団です。2団体とも今回出場していましたが、コンクールの成績としてはふるいませんでした。わたしはG.U.Choirの音の精度の高さ、クリアさ、声の広がり、音楽を伝搬する力はきちんとこのコンクールで評価されてしかるべきと思いました。新しい、という言い方は逆に古びて聞こえますが、関西の合唱界においては明らかに旧来の価値観と違う音楽をしているのがG.U.Choirだと。貝掛混声はまだ成熟しきっていない声もありますけれど、今の自分たちにあった選曲、音楽を妥協せずにきっちりやっているのがとても好印象で、G.U.と並んでその音楽の伝播性はとても高いと思いました。聞いている観客が一番それを感じていたと思います。

老舗の合唱団の中にも、旧来通りのスタイルでごりごり押していく団もあれば、明らかに新しい音楽を指向している団もあって、その違いが鮮明だったのが今回の関西合唱コンクールだったと思います。わたしは変わっていく老舗合唱団の方が好きですけれど、審査結果を見ると、そうでない人もまだまだ多いんだなーと思いました。そういう意味でも、やはり今の評価基準スタイルでこのコンクールをやっていく意味がとても薄いように思いました。意地の悪い言い方をするならば、旧来のスタイルのままでやりたい合唱団は、そのまま世間に対して、時代に対して閉じたまま、歳を経て滅びるまでそのままでいればいいと思います。

そろそろ平成の時代も終わります。昭和時代、1970年代の合唱はそろそろやめたがいいと思いますけれど、どうでしょうか。少なくとも東京の合唱界はもう変わり始めているようですけど。

最後になりましたが、淀川混声合唱団の皆さん、1位金賞おめでとうございます。全国大会の場で、その素晴らしい世界を、別次元の音楽の世界を全国の聴衆に聞いてもらえることを心から嬉しく思います。