世紀末ウィーンのグラフィック展観覧

新年が明けてから今年最初の展覧会は京都国立近代美術館で開催される「世紀末ウィーンのグラフィック」に決めていました。近代美術館には12月にも訪れていて、藤田嗣治の回顧展の会期末でした。その記事も書こうかと思っているうちに年末からにわかに仕事が忙しくなってきて、書けずじまい。会期も終わってしまっていましたし。

それはさておき、京都国立近代美術館は以前からグラフィック関連の収集を意欲的にすすめていて、今回の展覧会もすべて2015年に一括購入したコレクションになります。もとはアパレル会社の創業者がこれもまた一括購入したもので、それを購入したという経緯があるのですが、その数360点あまりと膨大な量です。いわゆる絵画や彫刻などのメインとも呼べるの芸術を収集する人は多いと思いますが、グラフィックにまつわるものは展覧会カタログにも書かれていますが、いわば「周辺物」です。雑誌、本の装丁、その原画、スケッチ、ポスター、素描などなど。これらがメインの展覧会に行かれる方もそんなに多くはないと思います。藤田嗣治展などはマスコミ各社のスポンサーがついて、宣伝も大々的に行われますが、今回のようなグラフィック展は美術館の独自企画ですからそこまでの予算はありませんから周知も難しい。つまりコレクションしても、見に来る人は少ないはず。しかし、それでもこれを「収集し、整理し、展覧会を開いて周知しなければいけない」という強い意志をこの展覧会とそのカタログから感じました。

それは京都国立近代美術館に長年通って、関連するグラフィックや工芸に関する展示を見続けている人ならば、誰もが感じるところではないかと思います。最初に結論めいたことを書きましたけど、この展覧会にはぜひ行くべきです。そうすれば、美術とは工芸とは、そして近代美術館の役割とは十分に知ることができる、いや感じることができると思います。 

クリムトが作成したウィーン分離派協会の蔵書票。コリント式の兜をかぶっている人?

展覧会チケットも保存しなきゃと思わせる出来

展示はごく一部を除いて、すべて撮影可(フラッシュ禁止、三脚禁止)です

ざーっと撮った写真をご覧いただいただけですが、まずこれが何なのかという説明がいると思います。19世紀末から20世紀初頭にかけてウィーンで起こった「分離派」と呼ばれる芸術家集団がありました。あの「接吻」という絵画で有名なクリムトが協会長でした。分離派がウィーンの芸術として何を目的としていたのかを大雑把に言うと、「高尚な芸術」と「小さな芸術」(応用芸術)の垣根を取り払うことでした。高尚な芸術というのは最初に書いたような「絵画」や「彫刻」のような王道を行く芸術ですね。それに対して小さな芸術とは、意匠だとかデザインの類で生活に近いところにあるものです。ようは本だとか家具だとか食器だとか、そういうものの「グラフィック」ですね。もともと小さな芸術というのは時代の発展に伴って出てきたものですが、高尚芸術と厳然と区別されていた。その区別をなくそう、生活の中に美術を行き渡らそうという思想が出てきて、それを実践するために従来の芸術家集団や協会から分離した(退会した)のが分離派だったわけです。
こういう流れはイギリスやフランス、ドイツなどでも同時代的に起こっていたので、それらと関連付けると面白いと思いますが、こういう流れに一つのきっかけを与えたのが日本の浮世絵だったのはよく知られています。浮世絵、すなわち多色刷りの木版画と言い換えることができますが、ヨーロッパでは早くにその技術(16世紀くらいだったか?)が確立されていたにもかかわらず、銅版画の台頭でより緻密な版画ができることから衰退していった技術だったそうです。それが19世紀末になって、浮世絵が欧州に渡り「木版画が再発見された」わけです。シンプルな線で描かれる木版画はグラフィック的なもの、デザイン的なものとの相性が良かったのでしょうね。これはカタログの解説に書かれていることですが、分離派はこの木版画の再興こそが掲げた理念に最適であると考えたようです。曰く、浮世絵は絵師、彫師、摺師という職人の分担作業で絵ができあがりますが、分離派の会員達はその作業を1人で行うことで「職人的作業」と「芸術性」が一体になる、それこそが「高尚芸術と小さな芸術の垣根を取り払う」ことに繋がると。

そういう観点でこの展覧会の展示を見ていると、なるほど作品そのものの美術的側面もさることながら、その「印刷技術の高さ」が目につくことと思います。わたしが見始めて最初に感嘆したのはそのことでした。まさに分離派の活動のメインは年に数回の展覧会と、その展覧会の成果をまとめた「雑誌」の発刊だったのです。雑誌という媒体によって、グラフィックデザインと芸術を世に知らしめようとしたという点が新しかった。展覧会で実物の「絵」を見なくても、印刷されたモノを見ることができるという点が。

この展覧会でも、分離派のそういうひそみにならったのかもと思ったのが、この図録への力の入れようです。過去の京都国立近代美術館主催の展覧会の中でも、これほど本としての完成度、芸術性の高いものは見たことがありません。そして、その分量も最大クラスと思います。その厚さ実に4cm!装丁から内容、解説、印刷に至るまでものすごい熱量と意志を感じます。(装丁はしかも2種類あり。ウィーン分離派協会の建物の写真ベースの白い版のものと、上記の蔵書票ベースの赤い版)
ちなみに、価格は2200円。フルカラーでこの大きさの本は市販ではこの値段では手に入らないと思います。展覧会を見る時間がない方、京都国立近代美術館の一階で売っていますから図録だけでもとにかく買いに行くべき。買って欲しい。

ウィーン分離派協会員の集合写真。2列目で椅子に座っているのがクリムト

展覧会の様子を写真で一部をご覧いただきましたけど、ほんの一部です。実に様々なウィーン分離派のグラフィックとデザインがものすごい物量で、そしてきちんと整理して詰め込まれています(2015年に収集して、展覧会になるまで4年くらいかかっているわけです)。悲しむべきか幸いか、このジャンルを熱心に見に来る人は少ないから、じっくりたっぷり見られます。というか全部きちんと見ようとすると、すごい時間がかかります。わたしは頭の整理がつかなくって、一度休憩して二周しました。
京都展の会期は2/24まで。まだあと一ヶ月以上あります!その後、東京の目黒区美術館へ巡回します(4/13から)ので、関東方面の方もぜひぜひ足を運んでください。そして、分離派の理想を感じて欲しい!

(おまけ)

京都国立近代美術館のコレクション・ギャラリーもこの展覧会のチケットで見られますが、なんと今やっている展示がどれもすごい。鑑賞家の目と脳を焼き尽くそうとしていないか近代美術館...内容が濃くて熱すぎる。

かつての展覧会、上野伊三郎とインターナショナル展からの展示。これは建築分野の展示ですが、今回のグラフィック展と流れとしてはつながっています。上の写真は上野伊三郎のノート。なんと内容は「伊東忠太の日本建築史の講義録」。この授業受けたい!

そして、別の展示室では陶芸家ルーシー・リーとその周辺作家の陶器の展示が!ルーシー・リーの陶器はかつて5年くらい前に大阪の東洋陶磁器博物館で見たきりだったので思いがけないところで再会できました。あー、眼福。

ウィリアム・ケントリッジのアニメーションの上映は今回始めて見ましたが、これはすごく批評的でユーモアがあって、斬新でした。音楽も面白かったなぁ。

半日くらい、ゆっくり時間をかけて楽しめる展示がこれでもかとそろっています。ぜひ行ってください。

(おまけ2)

存在を知らなかったのですが、近代美術館のすぐ近く(ロームシアターの方が近い)に建っている京都水道会館が実にインターナショナル建築っぽくてよかったです...。