平民金子展「ごろごろ、神戸」もうひとつの世界(4/30観覧)

元号が変わってしばらく経ったので、「平成の終わりに何をしていましたか?」という質問はこの先もう聞かれることは減っていくと思うけれど、わたしは表題にある展覧会に行っていました。平民金子さんというブロガーで写真家さんの写真展で、会場は塩屋にある784JUNCTION CAFEの2階。

「ごろごろ、神戸」ってなんだ、平民金子って誰だ?ってお思いの方は下記のリンク先をみていただけると話が早いのですが、書いてしまうと神戸市の移住促進の広報文章を書いている方です。その広報の名前が「ごろごろ、神戸」。じゃあ、「ごろごろ」ってなんだとか、いきなり「ごろごろ、神戸2」なのはなんでだという疑問が湧いてくると思いますが、まずは読んでほしい。

http://www.city.kobe.lg.jp/information/public/online/gorogorokobe2/170503.html

http://www.city.kobe.lg.jp/information/public/online/gorogorokobe3/180502.html

読みましたか?って言っている私自身、平民金子さんの文章を読んだのはそんなに多くなくて、twitterで流れてきてときどき読んでいたくらい。はてなダイアリーというところで長く書いてらしたことも知らず、当初は「こんなにおもしろくて素直すぎる文章を神戸市の広報に神戸市の職員が書いてしまっていいのか??」とやや困惑気味でした。神戸市の職員というのは誤解だと最近気づいたばかりで。私が書くまでもないことですが、素直でストレートな文体で飾り気というのがない。でも無頼とかアナーキーとかでもなく、視線が低いところにあるというか、地に足がついている。生活の感覚がある文章なので読みやすい。でも、その文章はちゃんと頭に残るので不思議。比喩がめちゃくちゃすっとんでいるとかではないのに。

平民金子さんの文章とともに存在するのが、その写真。文章と近いところにある感じがするのですよね。そんな平民金子さんの写真の展覧会があるとGW中に知って、会期が4/30までだからというので塩屋に行きました。塩屋というのがどこにあるかも知らずに。(この前の竹中大工道具館のあとに行くつもりだったのだけど日を改めました)

前置きが長いのですが、そもそもわたしの中の神戸像というのは、完全に三宮と元町とポートピアのそれが占めていて、塩屋という場所が神戸市垂水区であることも知らずにいってみたらちょっとびっくりしました。ああ、ここも神戸なのかと。山からの川が流れるその谷にある町で、JR降りたら広い道は全然なくって尾道とかみたいな細い路地が広がっている。そしてちょっと寂れているけれど、お店はちゃんとやっている。人は極端に少ない。とにかく坂で谷。行き止まりがある。階段がある。高床式みたいな鉄骨で作った駐車スペースがある。

山から川が流れていて、その両側に町が開けているというのは神戸の他の町でもそうだと地図を見ればわかる(御影とか芦屋とか)のですけど、他の町は開けているけれど塩屋は全然開けてない。谷のままで、横につながってない(ように見えた)。

そんな場所で住宅街の中にひっそりとあるカフェに会場はありました。誰もここにぶらっと立ち寄って見るというのではなく、ここを目指して来ない限り見られないという写真展は珍しいと思いました。

 

会場の展示はこんなのです。額に入ってたりしない。重なっている。それも、プリンターで刷ったものが不規則に。特にタイトルもない。床にも写真があるなんて。アングラかというとそうでもない。さっき書いたように地に足がついている感じがするから。だからといって埋もれる感じでもなく、生活をふわっと浮かび上がらせている。なんだか特別なものに見える。目が離せない。

写真の展示とは別の部屋にある特別展示。

言ってしまうと陳腐に聞こえるけれど、神戸のアイデンティティというのはおしゃれだけではないのだと気付かされます。同じイメージで語られがちな横浜もそういうものなのかもしれないですけど。大阪とどう違うのというのも説明しにくいけれど。山と海が極端に近いという風土が形作っているものがあるような気がします。海がなくてただ平らな土地に住んでいた元京都市民としては、そこに自分が持っていないものを感じて羨ましく思ったりもする。

1階のカフェでいただいたランチがかなり美味しくて、これを食べるためにまた来たい。

1階でごはんを食べていたら平民金子さん本人がいらしたので、わたしを撮ってもらいました。わたしのカメラで撮ってもらったのに、わたしが撮る写真と全然違うのでびっくり。平民金子さんの写真になっていた。あまりに良すぎて、顔が写っていないけれどプロフィール写真(なんのプロフィール写真か)にしたいくらい。撮る人の視線が写真には反映されるような気がしたのでした。

展覧会が終わってしまったので、当然このブログを読んで興味を持った方がいたとしても行くことはできない。でも平民金子さんが住んでる神戸の町にはいける。平民金子さんが撮っているかもしれない神戸の町を低い視線から見てもらえるといいんじゃないかと神戸市の広報になりかわって思う次第です。あんたはどこの市民やって言われそうだけど。