2019年の10月から12月まで仕事が忙しく、帰宅しても何も書けない日が続いていたのですが、12月末に飼い猫の顔が急に腫れ、皮膚がんのようだと獣医さんに言われました。なんとか回復を願って看護と通院をしておりましたが、顔の腫れが引き始めて回復が見えたかな...と思った翌々日に息を引き取りました。3月になったばかり、これから暖かくなって免疫も十分に働くだろうと密かに期待していたころでした。たくさんではないけれどご飯も食べ、トイレも自分で行こうとする姿があり、最後まで孤高で、それでも人に優しい猫でした。よく頑張ったと思います。
あまりに急なことで、思い返しても予兆も見えず、何が悪かったのかを自問自答して、結局わからずという日々で苦しかったです。ただ、闘病中も猫は生きる気が満々で、その姿に逆に励まされていました。なので、途中からは猫が頑張っているので、自分は猫を徹底的にサポートする。回復することを信じる。猫にもそのことを伝える、というように切り替えました。
うちに来てから4年4ヶ月、振り返るとなんと短い期間か。google photoを見るとものすごくたくさんの写真が残っていました。時系列で見ると、野良猫だった猫の顔つきがじょじょに丸みと優しさを帯びてゆき、警戒心がとかれていくのがわかりました。最初は純粋な白猫だと思っていたのが、1年くらい経ってから背中としっぽに茶色のしましまがくっきり出てきて、環境によって身体の特徴がはっきり出てくるとかあるんだなぁと思いました。
夏も冬も一緒に寝ていました。猫のおかげで生活習慣がよくなったと思います。
思い出すときりがないです。ようやく一月が経って、なんとか猫のいない生活に慣れつつあります。なんにでも慣れてしまうことの寂しさはありますが、今は猫の遺影に朝起きたらおはようと言い、水とごはんを供えながら声をかけています。いずれは猫のいない時間の方が長くなるのでしょう。悲しみが完全に消えることもないでしょう。それでもわたしはまだ生きているので、猫のいない人生を生きないといけません。身体の弱いわたしをよく気遣ってくれた猫に心配をかけないように、ちゃんと生活しないといけない。そういうふうに今は思っています。
コロナウイルス感染症のために外出を控える情勢、気を紛らわすことも大変です。家にいる時間が増えたので、猫が生きていたらずっと一緒にいられて喜んでくれたかな...なんて思いながら、書き記しました。
美術館の休館がつづき、映画の上映延期も相次ぎ、演奏会も中止延期がつづいていますが、なんとかできることを見つけたり、新しいことを勉強したりする機会だと思って、ブログの更新を再開していきたいと思います。
珀ちゃん、ありがとう。