『ポーランドの映画ポスター』展観覧(@京都国立近代美術館)

昨年の11月に東京で鹿島茂コレクション展を見て以来、実に7ヶ月ぶりに展覧会へ。2020年3月くらいから魅力的な展覧会が企画されており、5月の連休にははしごするぞと楽しみにしていたのだが、ご存知の通りコロナ禍でほとんどの美術館・博物館で休館を余儀なくされた。6月になって、制限つきだが再開され、それにあわせて休止中だった企画展も会期延長がなされているようだ。今回見た京都国立近代美術館ポーランドの映画ポスター』展も、7/12まで延長されている。

同館では同時期に開催予定だった『チェコデザイン100年の旅』展も現在開催されている(会期は7/6まで)が、今回は見る方もリハビリが必要だと感じたので規模の小さい方のポスター展のみ観覧することにした。小さいといっても96点(展示入れ替えあり)であるので見応えは十分。なお、ポスター展はコレクションギャラリー(常設展)内で行われるため、観覧料は430円と安い。しかも、わたしはJAFの会員なので割引が効いて、220円である。

チェコデザインは特別展なので通常1400円、割引でも1200円。

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ポスターの製作時代は1960〜1970年代のものが主。当時は社会主義圏であったポーランドだから、ロシアの構成主義(1910〜1920年代)などの影響を受けているのかな?と考えながら展示室に入っていくと全然予想と異なるものだったのでびっくりした(上の写真のチラシは見ていなかった)。

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コレクションギャリー内は通常は写真撮影可のものが多いが、ポスター展は撮影禁止なので、図録から引用する。

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どうだろう、みなさんもポーランドと聞くイメージとは違ったのはでないか。色彩がポップでデザインやイラストレーションも秀逸なものが多く、アメリカのPOPアートの趣を感じる。

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もちろん、こういう写真を用いて切り貼りしたモンタージュっぽいものもあって、ロシア構成主義の名残みたいものを感じる(時代は相当違うけど)。

社会主義圏の当時の情勢には疎いのだが、ポーランドは文化統制が厳しい中でもアンジェイ・ワイダなどの若い監督の台頭があり、その作品は国外でも高い評価を受けていたとのこと。そういえば、あのポランスキーポーランド出身だった。また、美術アカデミーもグラフィック教育に力を入れており、その成果が映画ポスターに反映され、映画同様そのポスターでも国外で高く評価されるにいたったらしい(図録解説による)。映画界と美術界がそういう風に連携があったというのは意外なことだった。

また、これも思い込みがあるのだけど、国内製作の映画だけでなく西側諸国の娯楽映画もポーランドをはじめ旧社会主義圏では上映されていたのだ。もちろん、いわゆるスターリン批判後の「雪解け」の時期以降らしいのだが。そして、さらに意外なことにそれら外国映画の中には日本の映画も多いのだ。ポスターももちろんある。

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言わずとしれた黒澤明の『七人の侍』である。このイラストレーションの妙よ!ダイナミックな構成でワクワクする。

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クロサワ作品だけじゃなくて、ゴジラまであるのだ!(『ゴジラ対ヘドラ』)イラストレーションとしての完成度の高さに驚嘆する。

他にも、市川崑の『東京オリンピック』の他、『新幹線大爆破』『日本沈没』といったものまで幅広く、それらがポーランドで上映されてポスターまで作られていた、それもとびきり上質なものだったとなると、なんだか不思議な気分になる。そういう世界をまったく想像できていなかったということもあるし、東西冷戦の時代はもうかなり昔の歴史になっていることにも感慨を覚えずにいられない。

*今回の企画は日本・ポーランド国交樹立100周年記念と冠されており、ポーランド国内、日本映画、国外映画の3つで構成されている

今回、美術館への入場にあたっては体温測定や入場規制(一定数以上は待ちが発生)、万一のクラスター発生時の追跡対策案内など、十分に措置を取られていたことを明記しておきたい。職員の方も総出で対応されていた。

まだしばらくはこういった人数を絞った上での鑑賞は続くのだろう。ただ、人が殺到して絵や作品ごとに並びながら順繰りに見て回るというかつての展覧会のあり方は、これを機に変わっていくのかもしれない。大新聞社やTV局主導の「来場者数競争」のような展覧会は正直、見る方はしんどい。ゆっくり鑑賞できないからだ。もっと小規模でもいいので、今回のような落ち着いて見られる環境は美術愛好者の望むところだと思う。そのかわりに資金はそういったマスコミからではなく、やはり公的機関から十分補助というか予算があるべきだろう。国立と名がつくけれど、実際は独立行政法人(「お金は自分で稼げ」)という今の美術館・博物館のあり方は文化政策として、とてもおかしい。

さて、京都国立近代美術館は4年前に『戦後ドイツの映画ポスター』展を開催している。ベルリンの壁崩壊後の統一ドイツではなく、戦後の旧西ドイツと旧東ドイツのそれぞれの映画ポスターを展示するものだった。

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その図録に興味深いことが関われている。曰く「東ドイツでは(中略)文化的表現への国家統制が存在する一方、商業的制約の欠如からデザイン上の自由が保証されたことで、1970年代から、比較的イラストレーションへの志向が強い注目すべきポスター・デザインが数多く生み出された」。

この指摘は今回の『ポーランドの映画ポスター』展においても重要であると思う。ポーランドも旧東側諸国だったのだから。同じ『七人の侍』のポスターでも旧西ドイツ版はポーランド版とずいぶん異なる志向なので見てほしい。『戦後ドイツの映画ポスター』展の図録から引用しよう。

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これが西側諸国の「商業制約」ゆえなのかはわからないが、十分に印象的でポスターとしての完成度も非常に高いと思うが、ポーランド版を見てしまうとどうしても精彩を欠く気がする。自由奔放かという面でのみの比較であるし、ポスターとしてのできの良さを現在の目線で語ってしまうのは危険であるとは思う。

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マリリンモンローの『7年目の浮気』の旧西ドイツ版ポスター。かなり凝ったタイポグラフィで、非常に目を引く。『七人の侍』でもそうだが、旧西ドイツ版は非常にタイポグラフィが目立つ。

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対しての旧東ドイツのポスターはこのタッチのものが多い。手書き文字にイラストレーション。むしろ現代風かもしれない。

もちろん、これはどちらの体制が良い悪いの話ではなく、どういう制約があるのか、どういう社会情勢であるのかによって芸術というのは変わるということなのだが、頭の中で簡単に想像できる違いではなく、現実はもうちょっと「意外な違い」を生み出すという例として映画ポスターは重要であると思う。歴史は想像ではなく、史料から描いていかねばならないのだ。