学生時代、毎年12/24はヘンデルのメサイアを歌う日でありました。学生オーケストラと学生合唱団の合同で、指揮とソリストはプロをお招きして。京都の年末の風物詩となって久しい行事です(個人的には第九よりも馴染みが深い)。
合唱団の定期演奏会から、中1週間程度でメサイアの本番。全曲演奏で3時間を超えるボリュームなので、オーケストラも合唱団も大変な気力と体力を要します。しかし、合唱団にとってはメサイアが終わればようやく訪れる冬休みなので、気力は十分。
歌い手として一番気を引き締めないといけないのは、「次いつ立つか、座るのか」の把握。メサイアはご存知のようにソロのレチタティーヴォと合唱と構成されているので、合唱団はお休みの時間があります。この曲を歌ったら座る、この曲のあとに立つというのを楽譜に書いておくのです。指揮者によって合図あってからであったり、前曲のあと勝手に立つなど演出が毎年変わるので上回生でも気が抜けません。座るタイミングでないのに一人座ったりするとむっちゃ恥ずかしいです(2000人のホールが満席になる規模の演奏会なので)。
多くの人にとってハレルヤコーラスが一番有名な曲ですが、ハレルヤは第2部の終わりでいわば中ボス的な位置付け。このあと第3部の最後にWorthy is the Lamb that was slain、続いてアーメンコーラスという長大で荘厳で喜びに溢れた曲が控えています。おそらく、合唱団全員がこの“Worthy”を発声することに命をかけていたように思います。やっと歌いっぱなし、食う寝る歌うの一年が終わるぞー!と。キリスト教的には全く正しくない動機ですけど、こればかりは仕方がない。
歌い終わるとまあヘトヘトです。でもやっぱり歌い切ったという感慨が大きくて、それだけで有意義なクリスマスイブでした。当時合唱団員(男声)で彼女がいるのは5%程度で、その労を労ってくれる優しい声などなく、皆一人二人と帰省のため姿を消していくのでした。わたしは近隣の友人数人と新京極の天下一品に行くのを通例としていて、こってりを食べて一年を締めくくったものです。
あれから20年ばかり経ち、今は歌ってはいませんが、クリスマスは家でメサイア全曲をCDで聞くのが恒例に。途中休憩を挟みつつ、ゆっくりお茶を飲みながら。後輩の演奏を聞きに行ったこともありますが、なにせチケット争奪が激しく最近ではもっぱら家メサイアを決め込んでいます。聞く方も3時間の演奏会はしんどいですしねー。
同じ話を何度かtwitterとかに書いていますが、ブログには書いてなかったので書きました。