演劇「この道はいつか来た道」(別役実 作)観覧

京都に演劇(二人芝居)を見に行ってきました。京都は昔から学生演劇が盛んな場所ですけど、学生時代はあまり興味がなく、むしろよくわからない隣人みたいな感じでした。合唱の練習場が演劇サークルの練習場と共用で、お互いに「何でかい声出してんねん」みたいに思っていたかと。社会人になってだいぶ経ってから、自分が所属する合唱団の指揮者が合唱と演劇的な要素を融合させる取り組みをやりはじめて、今もよくやっているんですが、そこで知ったのが広田ゆうみさんと、二口大学さんという二人の演劇人でした。演劇要素の部分の演出指導や詩の朗読で参加されており、できあがった合唱劇を見たことで遅まきながら生の演劇の迫力に気づいた次第です(お二人とも、やはり声が魅力的で)。

今年の春にも、そういった取り組みの一貫で「こーらすめっせ」という合唱イベントの中でミュージカルを上演するのですが、やはりお二人が関わっておられて、その関係で今回の演劇「この道はいつか来た道」の公演を知りました(妻がチラシを持って帰ってきた)。すこし知っているお二人の活動であることに加えて、別役実作品というところに食指が動きました。昔、NHK-FMのFMシアター(ラジオドラマ)でとても印象的な作品を聞いたことがあって、そのときの脚本が別役実で印象的な名前だったのもあり、すごく深く記憶に残っていたのでした。

ちなみに、わたしがよく見ているおもしろ読み物サイトのデイリーポータルZでおなじみのライター、べつやくれいさんは別役実氏の娘さんです。こんな変わった名字そんなにないよなーと思ってデイリーを読み始めたころに調べたような気がします。

さて、とはいっても演劇自体に馴染みが薄いのでやや緊張しながら公演のある人間座スタジオへ。左京区下鴨の閑静な住宅街にまぎれるようにあるスタジオで、いわゆる劇場的なものではなく。入ってみるととても狭いけれど、ああ、この距離感がすでに演劇って感じだと勝手な感想をいだきました。舞台と客席に区切りはなく、少し段があって椅子がおいてあるだけ。最前列はそのままざぶとんに腰掛けるスタイルです。

さて、その内容ですが、くわしいことはあらすじを含めて書きませんけれど、設定とか話の内容をまったく知らなかったので、どういうストーリーなのかをお二人の演技から懸命に読み取ろうとしていて「ああ、これが演劇。生の演劇なんだ」と実感しました。映画だって同じものだろうと思っていたのですけど、映画と違うのは当然ながらカットというものがないわけで、切れ目がなく、ずっと目の前で事態が進行しているのを一部始終目にしていて、それもただの観察者として介入できないまま。この目を離せない緊張感。びりびり胸に響いてくる肉声。それらにいちいち感動というか感心せずにはおられなかったです。演劇を見るというのは、こうやって考えながら文章を紡いでいくのと似ているなと少し思ったり。常日頃、観劇を趣味としている人からすれば、当たり前のことなんでしょうけどね。まぁ、だから映画を見るよりも疲れますね。映画はカットや場面転換のほんの数秒や、ストーリーの緩急の合間に「リラックス」できていたんだと気づきました。

合唱に限らず、音楽を演奏会で聞いたことがないという人がはじめて演奏会にくれば、似たような経験はすると思うのですけど、演劇にはやはりストーリーがあるということから、音楽を聞くように客観的になれないという部分はあると思います。あ、昨日妻と話していたことで思い出したのですが、演劇には演劇の作法というのがやっぱりあって、それが新鮮でした。それは「セリフを繰り返す」という点。「◯◯ですよね」に対して「ええ、◯◯と言ったんです」的なやりとりが多い。これは映画のように編集が入るものと違って、リアルタイムなものだからこそ、見ているひとに伝わるように内容を刷り込んでいく役目があるのかなーと。あと、別役実作品の特徴なのか、頭の中で考えている理路をそのまま口に出して相手に伝える的なセリフが多くて、その部分がちょっと私自身の思考法とか、妻に対して自分の考えを言うときに似ているなーと思って、客観的に見ると演劇っぽいのか、あれはと思いました。

最初はF先生(藤子・F・不二雄)のSF的な設定なの話なのかと、私も妻も思って、いろいろストーリーの予測をしていた(あとで感想を言い合ったときにお互いそうだったとわかった)のですが、最終的には少し予想もつかない重層的で反復的なお話で、セリフひとつひとつがとても大切なものだったことがわかりました。演劇には編集はないけれど、ああこの展開と構成が演劇の醍醐味なのね(というかたぶん別役実ワールド)と得心したのでした。この展開のためにはやはり役者同士の間の取り方が重要で、誰がやってもこういうふうに心を震わすことはできないだろうなとも思いました。そこに至るまでに観ている人を導いていくのが役者の力なんだなーと。

わかったようなわからないようなわたしの感想ですけど、妻の感想はうまくまとまっていて、「『この道はいつか来た道』は北原白秋山田耕筰の歌からの引用だけれども、これは同モチーフ別ジャンルクロスオーバーで相当萌える」「音楽を全く違う観点で捉え直したときに、より理解が深まることがあって、その瞬間がめちゃくちゃたまらん」ということでした。いいえて妙です。あの詩をこう解釈することも可能なのかという驚きで妻は観たのですね。いわれれば、たしかにそうだ。他の人の感想を聞くのは大事だなぁ。

普段、音楽を合唱の視点でだけ考えていたわたしの思考に、これがきっかけで別の視点が加わった気がします。「こーらすめっせ」で上演されるミュージカル、わたしは参加しないので観客として見る予定ですが、演劇的な視点でも観て、感じて楽しめたらと思います(そういう意味ではそのミュージカルに関わっているお二人のお芝居を、合唱で参加する人はもっと知っておいた方がいいのでは?と思わないでもないですけど)。