クルマを運転しはじめてまだ10年も経っていない。運転免許を取ったのは学生の頃だったけれど、そもそもクルマを運転するつもりはなく、ただ「社会人になったときにないと困るかもしれん」という親の勧めで取ったのだった。自転車でどこでもいける京都市内に住んでいたし、子どもの頃からクルマ酔いに悩まされていたから自分が運転することはないだろうと思っていた。今は公共交通機関とクルマを組み合わせる必要があるハイブリッドな街に住んでいるし、週末にはあちこちの道を味わうためドライブしているので、10年前の自分からは多分想像もできない。免許取っておいて良かったというほかない。
クルマに乗りはじめてわかったのは一人で運転していると退屈になるときがあるということだ(クルマを運転すること自体は楽しい)。それでそれまで聞きつけなかったFMラジオを聞きはじめて、同時にCDも車内で聞くようになった。ことにJazzはツボにハマった。それも夜の運転中にかけるピアノ・トリオのJazzは私の心の琴線に触れるものが多かった。ピアノの音は良い。それ以前からJazzは聞いていたけれど、あまり詳しくないので定番のものを選んで聞く程度だったのがより精力的に新しい音源を探すようになった。のめり込むというよりも広く浅く、心地よい音を求めて何度も聞くので枚数は多くない。
というわけで私がクルマで、それも夜によく聞いているJazzのCDを数枚紹介してみたい。
『For Jazz Audio Fans Only Vol.6』(寺島レコード)
個人的な車内Jazzベスト1はこちら。特定のJazzバンドではなく、いろんなバンドの演奏を集めたコンピレーションアルバム。For Jazz Fansではなく、For Jazz Audio Fansというタイトルからして「ちょっとめんどくさいJazzおじさんに絡まれたな...」という気がしないでもないが、おじさんの存在は忘れて中身だけ聞いて欲しい。とにかく、1枚のアルバムとしての完成度が高い。コンピレーションアルバムなのに統一感があるので、1時間程度のドライブに最適。
はじめて冒頭のSAHARAという曲を聞いたとき、「音のない宇宙空間」に放りこまれたような印象は忘れがたいものがある。今も聞くたびにその印象は繰り返される。それまで聞いていたマイルズ・デイヴィス、ジョン・コルトレーン、ビル・エヴァンスという定番を聞いたときの神経の昂ぶりとは全然違うもので、息を潜め深く静かに潜航せよという気持ちになった。Jazzというのは誕生してからずっと進化し続けているのだなと、それまでのJazz感が打ち破られた感じがした。For Jazz Audio Fansというだけあって、録音の質と音圧レベルが高く、走行中の車内でも質の良い音楽を楽しめるという意味でもオススメ。
このVol.6は残念ながら流通在庫しかなく、Amazonではプレミアがついてしまっている。中古レコード店で見つけたら、即買い。
『For Jazz Audio Fans Only Vol.5』(寺島レコード)
いきなり在庫がないCDを紹介してしまったので、もう一枚同シリーズからVol.5をオススメ。こちらもまた1曲目のCOPACABANAという曲には胸の真ん中を撃ち抜かれること請け合い。こんなにきらびやかで、かろやかで、チャーミングなピアノの音を聞いたことがない。
https://diskunion.net/jazz/ct/detail/JZ120816-01
『LOOKIN' UP/SERGE DELAITE TRIO』(澤野工房)
フランスのピアノ・トリオのアルバム。ケレン味のない、明るく安定した演奏が心地いい。SAHARAの異空間とは対照的に日常を闊歩するためのJazz。長距離ドライブの往路にぴったり!発売元の澤野工房は、なぜかJazzCDレーベルと靴屋を兼業する大阪のお店。いつも、どこからそんな音源を見つけてくるのかと不思議になるラインナップが魅力。京都の四条烏丸の地下で、もはや息絶えたのかと思いきや、ひっそりと息を殺して生息するレコード店JEUGIAでサンプルをたくさん聞けます。
*JEUGIAはかつて京都市内でメジャーポピュラーソングCD、アニメLD・DVD、クラシックCD(オーケストラ・器楽・オペラ・合唱)、吹奏楽CD、JazzCD、それと楽器を扱う一大音楽拠点であったのが、世の趨勢にあらがえず楽器販売と楽器教室にシフトとしてしまったお店。かつては輸入盤をたくさん扱うお店でもあった。現在、音源販売は主に中高年向きポピュラー・ソングとJazzのCD・アナログ盤にターゲットを絞っており、規模はかなり小さく、かつての京都の音楽発信スピリットの命脈がかろうじて保たれている状態。なんとか生き残って欲しいので、ときどき会社帰りにチェックしている。
https://www.jazz-sawano.com/collections/serge-delaite/products/as029
『BIRDMAN or (THE UNEXPECTED VIRTUE OF IGNORANCE)/ANTONIO SANCHEZ』
目線を少し変えて、映画のサントラCDから、イニャリトゥ監督「バードマン あるいは(無知がもたらす予期せぬ奇跡)」。映画のBGM全編が一部をのぞいてドラム・パーカッションのみで構成されている。Jazzドラマーのアントニオ・サンチェスが演奏を自ら担当。
ドラムのビートはすなわち人間の鼓動であろう。BGM自体も映画の重要な演出要素となっており、このサントラCDは映画のDVD・BDと対のものだと思う。落ち目のハリウッド俳優がブロードウェイ演劇に転機を見出すというストーリーだが、そこに都合の良いドリームはない。主人公マイケル・キートンは哀れで滑稽でただ哀しいのだけれど、対して演劇人としての熱情というよりもただひたすら狂気にあふれたエドワード・ノートンがそこに絡むときに予期せぬ爆発が生じる。すべては人間の鼓動、ビートの上に成立している残酷な現実世界が、ある瞬間マーラーの交響曲に変わるときあっと驚く世界が現出する。そのマジックリアリズムをサントラCDでも味わうことができる。こう書くとドラムはマーラーの引き立て役なのかと誤解されそうだけれど違う。ドラムのビートからは、どうあってもわたしたちは離れることができない。ドラムのビートこそ地に足のついたわれわれの音楽なのだ。夜中のクルマで道を進むとき、これほど確かな安心はない。
『LIVE In Marciac/BRAD MEHLDAU』
このCDももはや中古でしか手に入らないため、まだわたしは所有していないのだが、幸いにして今はAmazon Prime Musicでその一部を聞くことができる。写真で見る彼は眉間にしわがより、いかにも気難しそうな感じの人である。ぼそぼそしゃべりそうでもある。そのピアノも極度に内省的であるように思う。指先からときにたどたどしく絞り出すように紡がれる糸のような音楽は静かな夜をさらに静かにしていく。しかし、その糸は絹みたいに強靭で光沢を持っているのだ。決して生命を閉ざすような静けさではない。
さて、もうすぐ給料日なのでまた一枚、JazzCDを買うことにした。NHK FMでかかっていてチェックしてあった『WE ARE SENT HERE BY HISTORY/SHABAKA & THE ANCESTORS』。新世代のUKジャズの旗手がアフリカ系ミュージシャンと手を組んで手掛けた、最先端にしてJazzの根源に立ち返る作品と言われているらしい。冒頭の1曲を聞いたときに、またそれまで感じたことのない衝撃を受けた。これもJazzか、いやこれがJazzだ。Jazzには衝撃を受けてばかりのわたしなのだ。